音が聞こえない。
心に響いていて鳴り止まない音が、この指がこの心が叫んでいた気持ちも全て全て消えてしまった。
あっという間に それは彗星のように私の中から消えてしまった。
断音 BGM 「out of crowd〜奇怪な妄想に侵食されるペルソナ」
「ピアノとか弾けない?」
そう聞かれて私は上手く笑えなかった。
何もいえなかった。ただ笑ってその時間がその質問が流れるように祈っていた。
真っ黒な艶のあるピアノの前 白と黒の鍵盤が並ぶそっと触れて力を込める。
軽く音が鳴る 調律していないのかちょっとずれて聞こえる。保存場所もあるのか少し湿った音のようにも感じる。
昔は私も近くにいた。放課後はいつも音楽室 時に専門のレッスン室で練習と熱のこもった指導 音符が読めない飲み込みの悪い私に先生は粘り強く教えてくれた。
だけど・・・
再度音を鳴らす。
ハーモニーの位置にぎこちなく指の力を加える。
「どうして・・こんな風に上手くいかなかったんだろう?」
この鍵盤のように押さえてしまったら綺麗なハーモニーが出てしまえばよかったのに。
どうして人の心はそう上手くいかないんだろう。小さく呟いてもう一度ハーモニーになる場所に指を添える。
え?視界が真っ暗になっていく。そのハーモニーに引き込まれるように。深く深く溶け込んでいく
・・・声?
「気がつきましたか?」
柔らかい音が耳の中に入ってくる。
今まで聞いたどの声よりも安心するのは何故なんだろう?
「ここは蝋人形の館と言う場所です。私の名前は赤光この館の案内人をしています。よろしくお願いします」
落ち着いた雰囲気と丁寧な言葉が声と合っていて私は声を出すのも忘れてその声に聞きほれていた。
「私は今日のお客様って事なんだ」
用意してくれたお茶と甘いお菓子を頬張りながらこの館の事を聞いていた。
「はい。見た所貴女は消滅とか人形になるとか深く悩んでいないみたいですね」
むかっ
「私は死にたいとかって考えていないけど」
言葉が詰まる。いつもならそこで笑い飛ばしているのに
「けど?満たされていないですよね」
「満たされていないから満たされるだけ頑張るんでしょ?人間」
そうそう答えればいい。私なりに見つけた答え 先手先手で言えばいい。
「そうですね。その貴女の満たされていない部分を教えてもらえませんか?」
「どうして、、初対面の人にそんなこと言わなきゃならないのよ」
その視線の先に映るのは私の顔 私の目 私の一挙一動が全て見られている。
平静を取り続けているのにかすかに震えだしてくる腕はさっきピアノに触れてしまったからかもしれない。
震えがどんどん膨らんでいく感じがしてたまらずに腕をテーブルに突っ伏した。
「大丈夫ですか?顔色が優れませんが」
流麗に耳の中に入ってくる言葉も声いや音的には嫌いじゃない。
嫌いじゃないけどその声が完成された曲のように感じるくらい綺麗だから怖い。
その曲のように聞こえる綺麗な声が言葉がどんどん思い出してきて、押し込めてきた思い出と逃げ出したあの時の自分が迫って見える。
「少し気分転換しましょうか?」
じれてしまう。嫌いじゃない声だけどその声を曲と当てはめてしまった瞬間からこの人が怖くなってきた。
必死で頭を横に振って「大丈夫だよ」と言う。赤光だけじゃなく私自身に言い聞かせるように。
「例え今貴女が大丈夫とおっしゃっていてもきっといつかその体を蝕む切欠になるような物を持っています」
蝕む・・
「ここにいらっしゃるお客様は年齢、性別関係なく共通しているのは心の中のわだかまりが深い事です」
目を閉じてその声を聞く
「そうだね」
言わなきゃ時間が過ぎる。時間が過ぎればその言わなかった言葉も問題もいつか消えてしまう。だから言いたくない。
「赤光は単位で表せないくらいの人と接してきたんだろうね」
違う。言いたいのはそんな言葉じゃない。
「そうですね・・・。ここには日にちどころか朝も昼も夜もない場所だから。その場所で毎日選択をする場面を見届ける役目をしている。この館を守る為にいる存在ですから。私は」
その声が綺麗だから怖いんじゃない
その曲のような声で 今だけはまっすぐに見てくれる目で臆病な私を見られているのが怖い。
正当性を張ろうとしているのを指摘されたくないから言いたくないだけで その声で・・
「淋しくない?」
「・・その分お客様の声を聞けるようになりましたよ。はじめの時には酷いものでお茶を出そうとしたら躓いて転ぶ、ファイルを出そうとしたら中身が取り出してごちゃごちゃになるとか」
この落ち着いている赤光が?・・想像してみるとちょっとかわいいかも。
本人目の前にして吹きだしてしまった。
「やっと笑ってくれましたね。例え案内人と言う立場でも悩んだりするときもありますよ」
「例えばどんな時?」
「今貴女にとって私は困らせている存在でしかないですよね」
「・・・・・・」
「100人いれば100通りその人の心がある。全てを話して、知っているわけじゃありませんよ。
定まった扉と鍵のようにはいかないから どういう風に接すればいいのか毎日考えていますよ」
手探りでこの人も迷っているんだ。
同じ迷っているのに私は手探りで探そうとしていない。その声で私を否定されたくないだから言いたくないの。だけど言葉が詰まっていえない。言いたいのに伝えたいのに言えない。
「私は・・私は」
あの時と同じように4年前とちっとも変っていない臆病な私をもっと追い込まないようにじっと待ってくれた。
「ゆっくりでいいんですよ。時間はまだたくさんあるのだから。ね?」
小さな子供をなだめるように触れる手が暖かかった。
「うん・・」
もうちょっとだけその声を聞かせて
もうちょっと聞いていれば言い出せるのかもしれない。4年間の時間と一緒に忘れかけていた気持ち逃げ出した事
私は大丈夫 私は・・ずっと心の中で言いつづけた言葉も擦り切れそうになったから。
だけど今はみんなみんな赤光になら言えそうだから。肯定も否定もしなくていいの聞いてくれたら その声で何を言われてもかまわない。
「私はもう音楽をする資格なんてないの。」
「資格?」
「大好きな楽器 音を捨てたから」
小さい時おゆうぎの時間に流れている音楽が大好きだった。その延長上楽器がある学校で吹奏楽部に入った。
それが始まり。音を楽しむ音を私も作り出せるそう信じて入部届を出したサクラの季節。
「一人じゃ曲は作れない。だけど私はその場に馴染めなかった」
くり返されるのはコンクールで金賞 そして県の代表になるのは当たり前の要求を突きつけられて賞をとってもそれが当たり前で何の反応も言葉もない場所だった。
「馴染めない私はすぐに孤立してしまった。部でもクラスでも・・担任の先生にまで言われて学校に行くのが嫌だった」
音を楽しむ 音階が吹けた時 新しい音が吹けた時 渡された曲ができた時些細な事かもしれない。だけどその些細な事で喜んでいる私のレベル
より曲の完成度を求められて失敗すればちくちく言われて お前は下手だ やめろと言われる。
どうしてそこまで言われなきゃいけないんだろ?何の権利があって?
分らないよ 一緒に演奏しているのにどうしてそんな哀しい事言うの?いえるの?
「分らなくなった。本当に私はそこにいていいのか 下手な私が楽器を音楽をしていていいのか」
どうしていいのかわからない。ただ必死で渡された譜面と格闘して 手が震えるくらい楽器を鳴らしてがむしゃらにやればやるほど今度は自分の音が聞こえなくなった。
「さっき貴女は資格がないって言っていましたよね。自分で自分の制限を作ってしまっちゃだめですよ」
「ううん。大好きな物を捨てておいて今もこうして悩んでいるんだから処置ないよね」
自分の音がわからなくなったと同時に回りの人の声もただの雑音のようにしか感じない。毎日毎日が雑音ばかりで終らない止まらない。
ざわざわ耳を塞いでも聞こえてくる 苦しくて哀しくてどうしていいのか分らずに人に話すしかできない。
それは愚痴として 周りの人を心配させて不快にさせてしまう。
大好きな物も握り締められない、立ち向かう勇気もない不毛な私なんかに吹かれていて君は幸せ?何気に吹き始めたのははじめて楽器を持って吹けた曲
あの頃は毎日が新鮮で わくわくして 嬉しい事も哀しい事も楽器を吹く事で満たされていた。
だけど今はもう君の声も聞こえない 誰の演奏を聞いても雑音のようにしか聞こえない。
ねぇ?君は幸せこのまま吹かれてしまっても折角の素材もだめになっちゃうよ。
「大好きだから・・だから悩んで決断した貴女は処置なしなんかじゃないですよ。その時正面から受け止めていたのだから」
踏まれた楽譜 囁かれる悪口 見えない心 みんながわからない。それ以上に今の自分の気持ちが分らない。
苦しいだから捨てた。全て中途半端のまま何もかも投げ出した。
投げ出さないと体が引き裂かれそうに痛かったから。
大切に持っていた楽譜も楽器も小学校時代の音楽の教科書も音楽関連の物すべて捨てた。
そうすればこの痛みから逃げ出せると思ったから。
あの時はその気持ちが一杯で逃げた私に聞こえる言葉をもしもその言葉を聞いていたら私は逃げなかったんだろうか?・・ばかげている。
何を言っていいのか分らずにうな垂れている頭から曲が聞こえてきた。
「こう見えてもバイオリンは弾けるんですよ」
照れくさそうに笑いながら止めていた曲を弾き始める。
「やめて」そう言い耳を塞ぎたかった。
どんな曲を聞いても責められている気がするから急いで音楽のある場所を遠ざけてきたのに
苦しくないテンポが変って技巧的な曲になったり かと思ったらポップスになったりそれと一緒に赤光の表情も変っている。
案内人以外の時間や表情がみれて嬉しいし曲を聞いていて楽しい。
「あはは・・ちょっと久々だったからちょっと間違えてしまいましたね」
弾き終わって苦笑する赤光に手を叩いて
「ううん。すごく楽しかったよ」
「どうしましたか?」
「え・・」
頬を伝う涙を指摘されてやっと自覚していた。
「やだな何で泣いているんだろ?ごめん泣いちゃって」
服で涙を止めようとするけど一向に止まらない。それでもしつこく拭おうとする手を止められて
「いいえ。かまいませんよ。ずっと貴女は泣いていなかったんですよね。今は泣くだけ泣いてください」
伝えたい言葉 届かなかった言葉 叫んでも答えはない言葉を私はいつもどう伝えようと考えていた。
分るように分りやすい言葉を・・そればかり考えていて膨らんでいく気持ちと追いつかずに迷った。
言葉じゃなくても私の気持ち伝わっている そう今感じている。
頬を伝う涙も目と目を合わせているだけで温かい気持ちが湧いてくる。
どうしてなんだろう?とても嬉しい くすぐったくて笑ってしまう。泣いているのに笑っている
気持ちも落ち着いて張り付いた涙の跡が気になって洗面所に向かった。
蛇口を捻って流れる水に手を添える。
掴もうとしても掴めない だから苛立ちを感じて無理やり掴もうとしていた。
思い通りにいかないものを無理に形にはめようとするのと同じなのかもしれない。
あの時は逃げてしまったけど 次は逃げないようにいつまでも君との出会いを悔やんでばかりじゃなくて新しい場所で君と同等それ以上の物と出会えるように気分を変えようと頭から水をかぶって気持ちを切り替えた。
「どうしたんですか?その頭は??」
「太陽が暑かったから」
「ってここには太陽はありませんよ」
苦笑する赤光の反応を見てさらに笑って
「嘘、赤光が私の太陽を出してくれたんだよ」
「私が?」
「ずっと逃げていた。本当は音楽が大好きな気持ちを殺していた。昔みたいに専門的に教えてもらわなくてもいい。もう一回音を作りたい下手でもいいから」
文法ばらばらで意味が伝わりにくいこと言ってしまって赤くなっている私に
「楽器がなくても貴女は充分音を出していますよ」
「え?」
「楽器は気持ちを代弁する道具でしかないんです。
怒ったり、泣いたり今みたいに笑ったりしている気持ちを伝える。時に悩んでまた立ち直ってその気持ちの変化と一緒に時間が過ぎて人生と言う一曲に繋がっていく。楽器がなくても誰だって音を持っていて生み出しているんですよ。」
その言葉が途切れた瞬間私は現実世界に戻っていた。
「そろそろ時間だから出ましょうか?」
そう言われて慌ててその場を離れる前に乱雑に叩いたお詫びにそっとピアノに触れて出て行った。
「赤光兄ちゃん今回は選択なしだったね」
楽器の手入れをしながら
「そんなことはないですよ。ちゃんと心の洗濯をしてすっきりした顔しているじゃないですか」
「・・・つまらないよ・・兄ちゃん」
いつもこんな感じでお客様と接していたい。そう思った。
本当の名前も過去もわからない私の言葉が案内人としてじゃなく一人の人間として届けられるのならばどれだけ幸せなんだろうか?
案内人と過去に揺れる私に
案内人を終えた時に残る物と一人の人間としての強さがどれくらいあるのか分らないけど接してきたお客様が少しでも笑っていられるようにそう願っている。