代価


何かを得るためには 何かを失わなきゃ手に入らない。
どちらも選べない 両方手に入れて笑っていられるならばそれにこしたことはないけれど、気がつかないうちに僕は何かを失っている。

いつから?ずっとまえから・・それは呼吸をしてから呼吸が止まるまでずっと・・ずっと。例えるなら止まらない法則のように。

何時まで待てばいいんだろう?
何処まで走ったらおいつけるんだろう?
何度泣いたら、叫んだら実現できるんだろう?

 その疑問を答えるように人は「時間、努力した分だけ、そしてタイミング」と答える。
じゃああなたの夢は何ですか?望みは何ですか?そして実現できましたか?と聞くと首を横に振り、笑って「まだだ」って答える。

ばかばかしい
待って、汗水流して実現に向けて努力して自分によっているだけだろ?なぁ?
「頑張った分だけ」
なぁに言っているんだか。
頑張って実現できなきゃ「がんばったことが大切なんだ」って自分に言い訳をして諦めているくせに
諦めて実現できないことにしがみ付いて、他人には「幸せになって欲しい」だとか「自分にようになるな」とかいいながら実現できなかったことを押し付ける。

好い加減にうんざりする。
押し付けられたことを達成するともっとという言葉と一緒に次はあれしろ、これしろと投げつけて要求を重ねる。
ただの欺瞞でしかない。
自分ができなかったことを他人に押し付けることに疑問も不安も感じないならばなおさら
ただの自己満足を満たす隠れ蓑を背中に背負い込んで、いつでも隠れられる理由を持っている人達の声も顔もはっきりと僕は聞こえない、覚えていない。

『震えは止まった?吐き気は治まったの?私のこと直視できるの?』
初めて僕の耳に届いた声
口調はおせっかいで、弱気だと感じるけれど僕の中の弱さを引っ張り出す目で僕を見つめる彼女の存在に強く惹かれて止まないかった。

「幸せってならなきゃいけないのか?・・」
目の前に座っている案内人の赤光に聞いてみた。
「私は幸せってものはなるとか、ならないとか達成することじゃなくて、感じるものだと思いますよ」
くすくすわらう僕の目をそらさずに案内人は答える。
「目には見えないけれど、形にはならない不確定なものだけど貴方の心の中で動くもの、突き動かして止まないものなのかもしれませんね」
「お前・・そんなこといって恥ずかしくないのか?」
「貴方の複雑そうな顔よりはね」
こいつ柔和な顔しながらけっこうきついこと言ってくる。

『幸せってここが温かくなることだよ。』
僕の胸を軽く叩きながら答えた彼女は決して僕に何かを強要したりしない。だけど、僕の望む言葉を言ってくれない。
『理解をしようとせずに理解してくれるのを待つだけで、何も言わないのはずるいよ』
そういいながら彼女は目を閉じる。初めて見せた拒否と拒絶そして・・

「あなたは幸せになる為に生きてるんですか?」
「はぁ?・・まさかそうだったら『幸せって何だ?』なんて聞かないよ」
「それもそうですね」
今度は逆に赤光が笑う。
「赤光さんはここにいてさっきの幸せの持論を導き出したのか?」
首を横に振って
「赤光でいいですよ。いいえ。恋人の受け売りです」
手入れの行き届いた部屋、景色、そして目の前に座っている相手が人間なのかと疑問を投げ掛けたくなるくらいの綺麗さ
それが当たり前の空間
その当たり前の空間に居心地のよさを感じながら、不自然さを覚えて尋ねてみた。
「美人?可愛い系?どんな所に惹かれた?」
ほとんどタメ口調で身を乗り出している僕に照れくさそうに笑いながら
「自分の気持ちに正直で、落ち込んだかと思ったら笑って子供のような女性でした。」
「じゃ、我儘で疲れない?」
「彼女が関係する物事すべてが新鮮で目まぐるしいこともありましたが、彼女はちゃんと人の痛みをわかる人でした。僕には彼女の代わりになる人はいませんよ」
さっきまでは自分のことを「私」と言っていたが、「僕」に変っている。
きっと、「私」と「僕」との間に彼女との深い付き合いを表しているみたいだ。
「私」と言っている時よりも表情が柔らかいし、宝物に触れるようにそっと話し掛けている赤光は不器用な子供のようにも見える。

「その人だけしかいらない、その人がいない世界なら自分の生きる意味はないって思えるぐらい好きだったのか?」
少し僕と視線をそらして言葉を選ぶようにゆっくりと
「彼女が僕にくれたものは今の僕の核の部分でした。与えてくれたから彼女を好きになったんじゃなくて彼女が心にいる時から僕が僕でいられるようになったんです」
そして、吹っ切れたように、懐かしいものに触れるように語り掛けてくる。

「僕は自分の心に鍵をかけていた。一度鍵を開けてしまえば僕は僕でなくなると思ってずっと心を閉じていた。誰がいてもいなくても全くどうでもいいと自分や周りを呪うことで自分を保っていたのかもしれません」
こんな黒いことを笑顔で離すやつは初めてだ。
僕の周りのやつらはこういう話を吐き捨てるように言ったり、ぶつけたりして共感を求めてくるが、赤光にはそれが微塵もない。
「僕は僕でなくなるということ。つまり自分の弱さを認めてしまえば二度と立っていられないと疑わずに意地を張っていました」
少女漫画ばりの顔しているからきっと出会いにもドラマがあるわけだ。
自分でも意味がわからないけれどそう思った。
「そんな時に彼女と出会ったわけだ」
「ええ。それは突然に・・ブレーキを押していなかったら轢いていましたね」
轢く・・?
な、何があったんだこいつと彼女さんの出会いは?

「彼女からは、自分の心の鍵を作るのは自分自身、鍵を開けるのは必ずしも自分だけじゃないってことを教えてくれました」
自分が意識的・無意識的にも周りを拒絶するんだから、自分で閉じた心ならば閉じた心をあけるのは自分だけだって思っている。
僕は納得できなくて思わず声をあげた。
「ん?」
「鍵をかけていることが当たり前になりすぎて、自他共に距離を取って必要以上の干渉はしない、させないようにしていた僕に言葉以上の思いをぶつけてくれたから僕は僕として生きられるようになったんです」
僕は僕として生きられる・・・つまり自由に物事を選択することなんだろうけれど
「・・自分が自分であると実感する瞬間ってどんな感じ?」
自分で言っていて間抜けな質問だけど吹っ切れたような顔で言い切っているから興味が湧いた。
ほんの少しの興味がなかったら僕はきっと決断できなかったんだろう。
あの時と同じようにどっちにもいけないまま立ち尽くすだけの自分のままだったのかもしれない。
「今目の前にいる貴方がみた私が私です」
「な、、なんか哲学っぽいなぁ・・。」
「ええ。人は生まれもって哲学者ですから。」
「べつに僕は哲学と言えるほどの思いや経験なんてないよ」
ただ言われたまま、言われるまま年を重ねている生きる屍の僕には・・なにもない。
うつむいた僕の心理状態を悟ったのか柔和な顔から鋭い目つきで僕を見つめながら
「なにもないことはありません。ココは心に迷いや葛藤がある方がいらっしゃる場所ですから」
自分として誇れるものも誇示するものなんてないことを露呈されているみたいでかちんときた。
「よーするに『僕は不安定です』の何処にも先にもいけないってことじゃないか!」
鋭い目つきは変らないけれど小さな子供をあやすような声で笑い
「さっきまで見せなかった感情を私にぶつけてくれる貴方の思いは貴方だけのものなんです。」
「僕だけのもの?このもやもやした気持ちが」
普通ならこんな状態を誉められるどころか、嫌がられる対象になるのに赤光はこんな状態否定も肯定もしない。
案内人から、一人の男になったり、今は年上の頼れるお兄さんとして僕に何かを伝えようとしてくれている。
それはアドバイスという名の押し付けでもなく、あくまで僕の視点で僕の気持ちを踏まえながら言葉を紡いでくれる。
それが心地よくて、だからもっともっと話が聞いてみたい。
「そうです。その思いが重なって痛みを伴うけれど自分をつくる切欠になります」

赤光の顔と彼女の顔がダブって見えるのは何故なんだろう?
『強い君も弱い君もひっくるめて君なんだから』
「貴方が言うもやもやとした気持ちは自分でもコントロールできないくらい悩むことは何かと向き合っているから生じているんですよ。」
それから赤光は僕にこの館の存在理由やどういう人が迷い込んでくるのかを話してくれた。
さらにここから離れる時には選択をしなければならないこと、そしてここに居残るしか選択ができなかった人達の話をしてくれた。
蝋人形になった男の人、女の人を目の前にして思わず聞いてしまった。
「つらくないか?」
綺麗な蝋人形はただ表情も変えずに、何処を見ているのかも分からずに大切に保存されている。
何処にもいけない、何もできないまま佇んでいる姿が痛いくらい僕の目と心に飛び込んでくるからかもしれない。

「辛くないわけないじゃないですか!」
赤光は絞り出すような声で強く切り出した。
「ここにいらっしゃる方々は悲しみや苦しみを自分の中に閉じ込めて、自分の中でしか解決できないと思ったままここに残ることを希望してくれたから・・・」
その声が切なくて、必死になって言葉をつむぐ姿が今にも消えそうで、赤光の言葉を遮ってこういった。
「赤光は案内人としてこの人たちと立ち会うのが辛いのか?この人たちの気持ちに触れるのが怖いのか?」
毎日毎日僕のように迷い込んできた人達と向き合うことが案内人としての役目なのかもしれない。
だけど、一人一人気持ちや価値観が違う。
だから一筋縄では上手くいかないし、自分に事もわからないのに相手のことを理解するなんて僕には無理だ。
「いいえ」
さっきまでの絞り出すような声が硬質的になっていく。
「現世じゃなくて光も時間の流れもないこの空間しか行き場所がないから選択してしまう追い詰めた原因を取り除くことができないから辛いんです」
人が他人を理解することは神経をすり減らしてしまう。だから表面的な付き合いをして神経の磨り減りを軽減するほうが楽だから言葉では立派なことをいっても行動には移せない。
それが人間だと思った。
それが当たり前だと思った。そうでもしなきゃ潰れてしまうから、壊れてしまうから。
だけど赤光が言う辛さは違う。
自分の痛みじゃなく、他人の痛みを受け止めて言葉がでなくなった状態の蝋人形に対しても向き合っている。だから辛いんだ。
この蝋人形の人達が何で悩み苦しみ、ここに残ることを選んだのか僕には分からないけれど、この人たちの思いはきっと残っている。
だから伝えたい。
「赤光のことを尊敬するよ」
「え?」
「温もりは体で感じるものだけど、気持ちや思いは心で感じるものだろ。この人たちの気持ちを忘れずに受け止めているなんて並大抵のことじゃない」
とても簡潔でありきたりな言葉だけど生まれた気持ち、知った気持ち、初めて使う言葉が堰を切ったように溢れてくる。
「温もりはなくても、言葉はなくてもこの人達を受け止めた案内人の存在があるなら、僕はけっしてこの人達が辛いだけで蝋人形になることを選択したんじゃないと思うんだ」
初めてだからとても拙く、要領を得ていないけれど、赤光はさっきまでの辛そうな顔から笑顔でありがとうと言ってくれた。

それから僕達は紅茶を飲みながらお互いのことを話し合った。
さっきまでは僕が赤光に話を聞いているばかりだったけれど、僕の名前から始まってどんな一日を過ごしているのかなにをしているのかありきたりなことを話し出した僕の話を聞いてくれた。
赤光は僕の心を受け止めて変幻自在に表情や声を変えてずっと言えなかった事、吐き出せずにいた今まで考えようとしなかった、触れたくなかった自分の弱さを引き出す。
だけど引きずり出されたのは、指摘されただけじゃない。

生まれて初めての弱音と自分自身を嫌っている理由と環境の話なんてつまらないだけなのに、時折相槌を打ったり、興味深そうに目を広げたり細めたりする変らない態度があったから。
案内人の役割だからじゃなく、一人の人間として自分をさらけ出し、同じ男として受け止めてくれる強さがあるからなのかもしれない。

僕の心を引きずり出せるのは、吐き出した後も態度を変えずに
一緒になって考えて、僕の進むことを願いを僕から出るまで待ってくれていることが心地いい。
さっきまで赤の他人だった赤光が同じ人間化どうかなんて関係ない。
目の前にいて、当たり前のように僕と向き合ってくれることがいつのまにか僕に力をくれる特別な存在になっていた。
「今から僕が話す事を聞いて案内人でも理想論でもなく、思ったこと言ってくれないか」
無意識に吐き出した息はきっとため息じゃない。
赤光は黙って頷いた。

陳腐でよくある話
病院を経営する両親の間に生まれ、一人っ子だから物心がつく前から医者になるように言われつづけていた。
言われるまま勉強をして、言われるまま興味の持てない習い事を受けて、差し出される手もない欺瞞に満ちた世界が僕の居場所だった。
無駄なことを考える余地もなく、医者と病院の世界しか知らない僕は人が生まれ死んでいく瞬間を何度も何度も見てきた。
人が死ぬことが当たり前で、どんな名声や富を得ても避けられないことぐらい分かっていた。

それでも何故名声や富に執着するのか。こんな夢や希望も見出せない世界でなにを残せると言うんだろうか?
持っているほうが幸せだから たしかにあったほうが不自由じゃない。
だが、自分以外の周りに対して疑心暗鬼になりながら駆け引きや勝ち負けだけしか念頭におかないどろどろしたものが幸せなんだろうか?
吐き気がする・・どぅせ死んでしまえば名誉も富も煙よりも早く消えてしまうのに。
汚い人間、欺瞞に満ちた世界、視野を嫌いながらその世界しか知らない僕は処世術として人を踏みつけることで自分を成り立たせていた。


だから、自滅しないで自分を成り立たせる為に使えるものは何でも使った。
こんな世界がなくなってしまえばいいと毒を吐きつつ、作り笑いをする僕 同じように作り笑いを繰り出して僕に取り繕う人間を蹴落とすことに何の抵抗も感じないくらい
「気がつけば僕は薄汚れていた」
こんなに長く話をするのはこれで二回目
「回りの声がうるさくて、こびりついて消えないカサブタのようにまとわりつくから楽になろうと思っていた」
そんな時に出会った彼女は僕が勤めていた病院の患者だった。

毎日毎日ここでも、どこでもありうる死に対して悲しみを覚えるのか?
なぜ泣いたと思ったらすぐに笑って何事もなかったようにいられるのか?
彼女に対してありきたりな患者の死を見るたびに泣き出しそうな顔をする行為に始めは興味本位で近づいた。
そんな彼女の第一声
『先生つまらなそうな顔しているね』

「・・・・ぷっ」
「何だよ。赤光笑うなよ」
「すみません」
自分の心の中を見破られた瞬間だった。取り繕った笑顔と言葉じゃ彼女は何も話してくれなかったから僕は少しずつ彼女に釣られる形で本音が切り出せるようになった。
直感を小ばかにしてきた僕をたしなめるように干渉する彼女
打算を一種のあきらめで行き止まりだと指摘された僕

行き先がないから、見つからないから止まってもいいんじゃないかと言ったら
『見つからないと感じられるのは未来があるって肯定しているんだよ』と当たり前のように答えてくれた時失いたくないと思った。
この時間を、こんな風に自分をぶつけてくれる彼女を放したくないと叫んだ。

さしさわりのない会話から深い会話に至り、恋仲になったとたんよくある政略結婚の話が飛び込んできた。
そして彼女も退院をしてしまう
離れることが怖くて僕は彼女の名前や好きなものや性格は把握してきたが、住所や職業とかには一切触れなかった。
触れてしまえば失った時立っていられないから

傷つくのが怖かった、平常心に戻れないことが怖かった、苦しかった。
逃げ道なんて何処にも見つからない この狂おしい他人に執着する気持ちの行き場所の先も見当がつかないから。

僕の欠けた所を埋める為の存在じゃなく、理由も思いつかないくらい分っている事は彼女を欲していることだけだった。
「好き」や「愛している」って言葉じゃ埋め尽くせないくらいの欲求が募ってくる
どうしようもないくらい不安で、ほかのことが手がつかなくて考えるのがもどかしいくらい。
だけど、狭い世界で生きてきた僕が彼女を守れるのか?
彼女を不幸にさせるだけじゃないのか?
一番いいのは、一番お互いが傷つかなくてすむ方法は。。

「あきらめることですか?」
さっきは僕が赤光の言葉を遮ったが、今は逆の立場になってしまっている。
「幸福とか不幸とかそういう視点で見ているから貴方はおぼつかなくなるんですよ」
「ああ!おぼつかないさ。今まで完璧にできていた仕事も手が震えて医者としての自分を失いそうなくらい」
人をさばくことしか知らない手
人をつかむこと、包むことになれない手
この手は何も知らない。
本当に掴みたいものをつかむことを

「さっき貴方は僕に理想論じゃない意見を言って欲しいとおっしゃってくれましたね。」
「ああ」
「・・心の鍵を開けてくれた人、そういう風に感情をぶつけられるようになれた大切な人は一人なんですよ。」
仕事はいくらでもあるが、彼女はたった一人しかいない。
何処にいても、何処を探しても類似する人間なんて何処にもいない。
「何も恩返しをしろとか言いたいわけじゃないんです。彼女を通して見えた未来があるならば」
未来・・別の次元からのような言葉に聞こえた。
過去も未来もひっくるめて僕はただ何も持たずに、何の主張もせずに流されて人を蹴落としてきただけだった。
「後にも先にも痛みを覚えることに怯え、先の見えないものに対して執着もする気持ちなんてサラサラない。」

完結で、完璧に何も心にいれずに、何も囚われずに生きることのほうが僕に合っている。
辛い現実も、年を取ってジジイになることも見据えて、愛想を振り撒きながら心の中で毒ずきながら曖昧に生きているままのほうが慣れているから。
「執着しないとおっしゃっていましたね。言葉を返しますが、貴方は今痛みを覚えるくらいの葛藤を持っていることから逃れようとする言い訳にしか私には聞こえません」
ずっとこのままで、今のままでいられるはずがない。
わかっている。
だけどどうしたらいいのかわからないんだ。
「ひどいこというなぁ」
「ええ。それに客観的に貴方をとらえられるから言えるんです」
葛藤なんて今まで生きてきた中で発生したことがなかった。
目に見えるもの、聞こえるもの、触れるものはすべて単一的で廃れていくばかりのものだと思っていた。
右や左を見れば同じような言葉や態度の連中ばかりでその連中を見下しながら、その連中に沿う形でしか自分を出せなかった。
こんな風に欠点を指摘する人間なんて何処にもいなかった。

「なぁ、さっき言っていた彼女だけさえいれば何もいらないと言えるか?」
「僕にとって彼女は弱いところも情けないところも沢山見たり、見せられるたった一人の女性です。彼女がいない世界はとても広くて、ぽっかりとした穴が開いた感覚になりました」
だけどこうして目の前に笑って話をしている赤光
「何もいらないとは言えません。ですが、何者にも代えられない、代わりはいない大切な人であることは確かです。」
姿、形はないけれどこの空間で存在する赤光という案内人の心の中に存在する彼女の影が見える。
部屋に飾られた女物の香水
ブリキのおもちゃ
ただっぴろいベッド
どれをとっても綺麗過ぎて、刹那を感じてならない。

「これは私が決めたことですので、貴方は貴方の思うことを選んでください。たった一人の女性を思う気持ちを大切にしてください」
屈託のない笑顔と
おしゃべりと一緒に繰り出される本音と
空と同じようにいろんな表情を見せる所と
当たり前のように使っていた常套手段も言葉も打破して、頭だけじゃなくて思いついたこと一つ一つを引き出すように言う所と
僕の視点から見えなかった景色を見て伝えようとする所と
おせっかいで、言いたいことずばずば言ってきて僕の困った顔をみて笑う所と
当たり前のように見ていることに感動する所と
彼女と過ごす時間はすべて新鮮で、見ようとしなかった個所が見えること。

当たり前の平穏から葛藤する自分
過度に干渉する彼女を最初は嫌がっていたけれどペースにつられて、いつのまにか当たり前だと思っていた空間に対して違和感を感じるようになった。
「この腕がちぎれてしまっても貴方の心を変化させて、癒してくれる特別な存在から逃げないで欲しいっていうのが私の意見ですね」
恋とか愛とかそんな感情を僕は知らない。
家族も、仲間も、友達もいるようでいない。何の為に存在しているのかわかりもしない、素人もしなかった僕がそんな綺麗な感情をもっているはずがない。
たった一人の彼女に強く、言葉にもならないくらいおぼろげだけど、初めて知った感情を言葉では言い表せないけれどどうしても伝えたい。

『私は大丈夫だから。』
そういって笑いながら背中を向ける彼女を振り向かせるドラマみたいな言葉なんてでてきやしない。

今から「ごめん」や「好きだ」って言葉よりも君だけには正直な気持ちで付き合いたい。
たった一人の特別な存在だから。
「決まりましたね」
赤光は立ち上がって正面の扉の前に歩いて見せた。
「貴方が望むものはここには存在しません。今の貴方にはわかりますよね」
暗黙の了解
「じゃあな」
自分でもビックリするような吹っ切れた声を聞き、人生の先輩としてお辞儀をして笑う赤光を最後に扉に向かった。

力一杯扉を開く空気と開ける事への開放感、そしてまぶしい光。
その先に見えるのは小さな彼女の背中
どんな声で、どんな言葉で彼女を振り向かせるのか、どうしたらいいか?という考えよりも先に彼女の名前を叫ぶ。
振り向いた時に見せた驚きと不安がまじった顔で「名前初めて呼んでくれたね」と小さく笑う。
生まれも、育ちもまったくちがう生活と価値観の僕らはやっと近づけたのかもしれない。
お互いの名前を呼べるようになったこと
強さも弱さもひっくるめて、情けない自分が出せるようになった僕を笑いながら包み込んでくれる彼女と
これからどうなるのかなんてわからないけれど、明日が平坦でありきたりだと思っていた時を吹き飛ばして明日を望むようになったこと。

刹那的といわれてもかまわない。その刹那を望む彼女と出会えたことで今までの自分を越える気持ちがあるのだから。

ー目には見えない、形に表せない不安定だけど一番強い思いー
今までの自分を凌駕するこの気持ちはおつりがでるくらいのものだから代用品なんて存在しない。